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『虹』

寝過ごした。

スマートフォンが暗闇で煌々と光っている。

いくら呼び出しても起きない私に呆れ果て、つれは一言だけメッセージを残していた。

(低酸素で測れない。)

ポチを連れ大学病院へと向かう空には虹が架かっていた。


車の中、義父との数々の思い出がよみがえる。

義父は世話好きで人を疑わない人だった。

特に若者に対しては無条件にそうだった。

それ故に義父の周りには自ずとそれに応えたい人が寄り集まり、お互い良好な関係を築きあげてきた。

私もその一人である。

世間一般の尺度から大きく逸脱した馬の骨を、大切な長女の夫として快く迎入れ、これまで暖かい往き交いを続けてきてくれた。

とにかく分け隔てなく暖かく人を見る、そんな敬愛する父だった。

そう、たとえ時代がこんな物騒になって来たとしても‥。




父は3年前、 高齢者詐欺の被害にあった。

以前シロアリ駆除をした業者と名乗る男が定期点検と称し父宅に上がり込み、床下を覗く真似をした後、他に困った事はないかと父に尋ねた。鼠の出没に悩ませられていた父は、シロアリではなく鼠をどうにかして欲しい旨を頼んだらしい。

男は直ぐに若い衆を何人も引き連れ、今回はやれ鼠の動線を調べる、次は駆除剤を巻く、その次には罠を仕掛けるなどと言い、来るたびにキャッシュカード引き出し限度額ぴったりに請求し、父はその都度感謝の気持ちと共に用意していた現金を手渡していた。

つれがたまたま実家に立ち寄った時、彼らは天井で何やら作業をしていたらしく、不審に思ったつれは、父に話を聞き、直ぐ作業を止め帰って欲しいと取り合ったのだが、無視して工事を進めようとする彼らに困り果て、仕事先にいる私に電話してきたのである。

私は急いで実家に行き、作業を止めさせ、2階の押し入れから天井裏を確認し写真に収めた。

まるで出鱈目だった‥。

天井のあらゆる棟木と梁と柱の繋ぎ目に、素人でも明らかに無駄と解るような真新しい補強金具が縦横無尽に打ち付けられており、聞けばこれから天井全面に発泡ウレタンを噴射する工事をするという。

あらためて父に向かって何を頼んだのかと聞くと鼠退治を頼んだのだという。父は天井裏に登れる体力もなく工事の知識もない。そして何より相手を疑うことをしない。


男にネズミ退治と補強金具、ウレタン断熱がどう関係あるかと問いただすと、シロアリやネズミの被害にあった木造構造を補強する為の工事であり、鼠の通路を徹底的に塞ぐ為に隙間を発泡ウレタンで塞ぐのだとしゃーしゃーと言ってのけた。

私は父と同席の上で男と向かい合い、これまでした工事の内容を記した見積書、請求書、領収書の束をひとつひとつ確認した。

総計すると目が飛び出るような金額だった。

男は、折角退避薬駆除剤を塗ったり鼠の罠を仕掛けたところなのにここでストップするのは勿体無い、今後も定期的な点検が必要だと多少おどおどした顔でとほざいた。

「お父さん、もうこれ以上この人達に頼まなくて良いから帰ってもらいましょう。」

彼らの住所と連絡先を確認した上で、とにかくとっとと帰ってもらった。

何よりも、今後の父の身の安全が第一だった。

なのに父はその時でさえ玄関先で

「どうも有難うございました。また何かありましたらどうかよろしくお願いします。」

と、六十以上も年下であろう男に深々と頭を下げ、笑顔で挨拶するのだった。

彼らはとても気まずそうな顔で帰り、二度と父の家に訪れることはなかった。

私は直ぐに消費者センターに連絡を取り、契約内容の適正性やクーリングオフの可能性、警察へ届け出などを相談した。

担当者は直ぐに動いてくれた。

センターの担当者によると彼等は常習犯らしい。

ただ残念なことに、彼等は一応会社としての体裁を持ち、非を認め返金したい気持ちはあるものの、多額の借金と自転車操業の為返済するだけの能力を持っていないとの事だった。

お金が戻ってくる見込みはほぼ無いと判っても私はどうしても彼らを許すわけにいかない。

少なくとも同じような高齢者の被害を防ぐ為にもと警察に電話し、処罰の申し入れをしようとしたのだが、たらい回しにされその度に状況説明させられた挙句、頭から返金目的の捜査依頼と決めつけられ、諦めた方がいいと諭され、明らかに面倒くさいというような対応を繰り返された。

その上肝心の父は、これ以上事を大きくしたく無いと言うのだから、私の沸々とわく怒りとちっぽけな正義感は萎えざるを得なかった。

それから数ヶ月過ぎたある日、男が別件で逮捕されたとセンターから突然連絡があった。

彼らは全国各地で犯罪を繰り返して来ており、その手口は電話で高齢者を外に呼び出した隙に留守宅に侵入し現金や金品を盗み取る手口だった。

テレビのニュース沙汰にもなったと聞き、過去のニュースを閲覧してみると幾つものメディアがその犯行を伝えていた。

どれを見ても両手をタオルで隠し太々しい顔で連行されるあの男がはっきりと映し出されている。

父にも見てもらったが、まじまじと見て、ただ押し黙っているだけだった。

当時は何故父がそこまで人を疑おうとしなかったか不思議でしようがなかった。

身内は皆、「折角苦労して働いて貯めたお金なのに、何故、まるでドブにでも捨てるようにして騙されたのか?そのお金があったら自分の生活環境を整えたり、好きなことに使えばよかったのに。」と嘆いた。

私はその都度、「お父さんは何にも悪くはない、悪いのはそんなお父さんを騙した彼らなのだ。」と小さく擁護した。

嘗て「騙されたあなたにも罪がある。」と言っていた反原発の原子工学者の発言に憤りを感じた時のように。

今にして思えば、そう、今にして思えばなのだが、あの日をきっかけに父は生きる覇気を失っていったような気がする。

信じることを消失してしまった父の体調は加速度的に衰え、入退院を繰り返すようになった。




ポチを一旦病院近くの実家において駐車場へと急いだ。

(お父さん頼むからなんとか待っててくれ…。)

これまで何度も通ってきた大学病院の駐車場はまだ開いていなかったが、危篤の父に駆けつけて来たことを話すと、係の人は快く鍵を開け車を通してくれた。

夜間入口を通過し7階まで急いだ。

休日早朝の大病院は静まり返っている。

エレベーターが開くとつれが病棟扉の前でぽつんと座っていた。

「いま、個室に移動中なのでここで待たされているの‥。」

どうやら何とか最期には間に合ったと判った。

暫くすると、若い看護師さんが父のいる病室へとふたりを案内してくれた。

以後、彼が最期まで父や私達家族に世話を尽くしてくれることになる。

看護師さんは私達に容体が変わっていないことを告げ、普段は面会規制が厳しい病院だがここは出入り自由なので家族でゆっくり時間を過ごせることを教えてくれた。

彼は過去にも何度か父を担当しており、父のことも言葉少なく話してくれた。

酸素マスクをした父は呼吸をするのがやっとという感じだったが、声がけすると頑張って声を返してくれる。

目の前の父に本当に回復の見込みが全くないのかその信じられなかった。

看護師さんは、休日の忙しい業務の中、何度も病室に立ち寄り、落ち着いて父の状態を確かめ、丁寧に私たちに容体を説明してくれた。尚且つ、このような容体になっても体を綺麗にし、少しでも苦しまないようにとこまめに父の強張った体の向きも変えてくれた。

そして何よりも、私たち家族が残された僅かな父との時間を一番に大切にと思いやってくれた。

父は暫く私達に何か伝えようと懸命に息をしてくれたが、徐々に呼吸音も小さくなり、数時間後には静かに息をとめた。

呼び出しのベルを押すと看護師さんはすぐ駆けつけてくれ、落ち着いた仕草で各所の様子を見て判断し、当直の医師を呼んだ。

医師も彼と同じ仕方で判断しその後死亡の確認を告げた。


それを期に、それまで止まっていたかのような静かな時の流れは勢いよく動いていった。

私達は病室から安置所へと誘導され、父の整えられた姿を確認し、死者を迎える手配をし、焼香し、葬儀社の到着を待った。医師が慌ただしく下に降りてきて焼香すると、それまで付き添ってくれていた看護師さんも慰霊に一礼し丁寧に焼香してくれた。きっと彼にも私達の知らない父との思い出があったに違いない。手を合わせた彼の後姿を見ながらそれを察し感謝の気持ちが込み上げてきた。葬儀社が到着すると医師と看護師さんは二人並んで車が見えなくなるまで深々と長いお辞儀で父を見送ってくれた。

私は大学病院といういわば科学が司るであろう巨塔の中で、こんなにも精神を重んじ信仰の儀式が丁寧に執り行われていることに小さな驚きを感じた。それはあの看護師さんのふるまいを見たからだと思う。

実際、私はあれほど心のこもった焼香を見たことが無かったのだ。

私は焼香の作法を詳しく知っている身では無いが、彼の一連の所作は相当時間をかけて習得し身に付けたものであり、私たちが普段目にするものとは全く違っていた。

そして、その一つひとつが作法ではなく明らかに死者の尊厳に対するこの上ない敬意から湧き出でているように感じられた。

つれも同じように感じたらしく、高いこころざしを持った看護師さんに出会えてよかったと言った。

父の死が.あの若い看護師さんの振る舞いで全て報われたとは思わないが、父にとって最期を看取ってくれた若者が彼であって本当に良かったと思う。

生前中、若者と同じ目線に立ち、若者を信頼し、若者に尽くしてきた父への最後のご褒美に思えた。




実は、例の詐欺事件には続きがある。

グループの下で雇われていた若者の一人が反省し僅かでも自分の所持金を義父に返還したいと消費者センターに名乗り出たのだ。

センターの担当者は始まって以来そんな事は初めてだが、情状酌量を狙った行為に過ぎないだろうと見くびっていたし、私もその時はそんなことだろうとも思ったが、その話を父にするとただ笑顔で応えてくれるだけだった。

あの時の父の安堵に近い笑顔は今でも忘れることができない。

今にして思うと、もしかして父は騙されていたのではなくわかっていたのかもしれない。

世界や自身を否定形でしか捉えられない私が、父の包容力を理解しきれなかっただけだった。


信じることは疑うことより難しいと思う。

少なくとも私には到底得られない境地だろう。

でも、そこを乗り越えた人にやっと本当の幸福が現れるのだとは思う。

白い祭壇の最上段の父は今日も変わらぬ笑顔を繰り返す。

そして、そんな父の最後の修行ももうすぐ終わる。

きっと父は報われる。


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