とんびはとんび、鷹は鷹‥‥。
ガザ地区の子供たちがこれまで12年間にもわたり、日本のために凧揚げをつづけてきたのをご存知でしょうか?
日本は70年にも渡って、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)を通じパレスチナ難民の支援と保護活動に協力してきました。
そのおかげでガザの子供たちは、命を救う大切な存在として私たち日本人に感謝と敬意を抱いてきたのです。
東日本大震災が襲った翌年、子供たちは今までの日本の支援に対する感謝と被災した方々を追悼し、復興への願いを込めた凧を「それでも空は繋がっている。」と
狭い囲い生活に屈しながらも、青空に凧を揚げ放ちました。
その凧揚げが、昨年まではずっと続いていたのです。
今、ガザの上空には凧ではなく、ドローンや爆撃機が容赦なく旋回し、先の見えない暗黒の雲が覆い尽くしています。
日本政府は昨年暮れ、閣議決定で防衛装備品と嘯く兵器の輸出を解禁しました。
さらに今年の一月には大国に右習えのかたちで70年以上も実績のあるUNRWAへの資金援助を凍結してしまいました。
子供たちにとって、この二つの決定は死の宣告以外なにものでもありません。
パレスチナの空にもう子供たちの気持ちをのせた凧があげられることは無いかもしれません。
子供たちのまっすぐな気持ちも欲望の争奪の犠牲となりました。
日本には奴さんを形どった凧=奴凧があります。
一見、空に悠々と粋な姿で舞い上がっている様に見える奴凧ですが、奴さんは大名行列でも荷物持ちをする様な最下級の奉公人です。
せめて正月くらいは凧に姿を借りて大名屋敷を見下してやろうという儚い望みがこもっており、奴凧を揚げる風習は江戸庶民の間にも広がっていきました。
富や階級、支配を争って止まない人間の悲しい性も奴凧には象徴的に潜在しているのです。
パレスチナ難民の存在も奴凧の由縁も、元々は人間の飽くなき欲望や差別意識が素因となって起こったものでは無いでしょうか?
それは、他の生きものをことごとく追いやって来たホモサピエンスが辿ってきた愚かな欲望の道でもあります。
とんびはとんびの、鷹には鷹の幸せがあります。
とんびはとんび、鷹は鷹、それで充分です。
2024年3月 日下正彦
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