2年半前、“こぼれたミルクを嘆いてもしょうがない。” ( It is no use crying over spilt milk. )という諺を引用し作品を展開した。
間違いを起こしても検証も反省もせず、根本的な問題解決を避け、只々仕方ない事とやり過ごしてきた人類の無分別な歴史に対して警鐘したかった。
その時、取材に来た新聞記者から「火も電気もない生活に、今更どうやって戻ればいいんだ?」と問いただされ、閉口せざるを得なかった。
作品を通じて其れに答えられていない自分の力量の無さを憾んだからだ。
2年半経った今でもあの時の反芻は続いている。
あれから世界は何か変わり始めたか。
相変わらず溢したミルクの放棄は止まらない。其れどころか溢れ落ちたミルクは私たちの足元の自由を奪い、人間のみならず、すべての弱者をも苦しめ死に追いやっている。
そして今在る豊かさと引き換えにミルクのコックは閉められない。
其れでは私は何か変わったか。
今までと変わらず、お日様の下では社会の小さな歯車としてミルクを溢し続け、夜な夜なアトリエに引きこもっては懐に隠し持ってきた小石を温めているだけだ。
いまだ火も電気も不自由なく使い続けている。
変わったことがひとつあるとしたら、あの日以来私の頭の中にコバチが棲みついたこと。種を超えた運命なのか、其れとも相利共生の相手を間違えただけか、頭の内側で盛んに羽音を響かせている。
今、私はそんな彼が救世主に思える。だから彼を有り難く受け入れ、共に生きていきたいと思っている。
今度あの記者に会ったら、いたずらに歴史を遡る示唆や不甲斐ない自分に対しての弁解はしない。 1匹のコバチが今までの人間中心の歴史概念を塗り替えくれる事だけを作品を通じて説明したいと思う。
2023年5月
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